好きなことで生きていく
それって理想的な生き方だけど、正しいのだろうか。
ネットが発達したおかげてやりたいことがあったときに、着手しやすい、勉強しやすい時代になったと思う。
好きなこと、やりたいことが見つかったときにはわざわざ学校に行ったり、専門書を読まなくても、やる気次第でその分野を極められる良い時代だ。
なにかに夢中になってのめり込んでいる人って凄いし、羨ましい。
その一方で、好きなことしかやらなくなってない?
目先の損得で考えてるというか、協調性がないっていうか。自己犠牲の精神があーだこーだ・・・
僕は学者でもないし、頭も良くないからなんて言えばいいかわからないけど、
自分のやりたいことしかやらないじゃん。
それってあたりまえじゃん、とか
自分のやりたくないことをわざわざやる意味なくない?とか
そういう意見はごもっともだ。
僕はコミュ障なのでコミュ障なりにコミュ力のある人となにが違うのか考えていた時期がありました。
楽しいことも辛いこともたくさん経験してて話聞いてて面白いし、一緒にいて楽しい。
人脈も広くて、いろんな人からいろんな話を聞いているだろうに。
ここまで文章書いてて自分でいくつも反論したくなる。
好きなことだけしてても面白い話できるよね。
コミュ力なくても今の時代どうとでもなるよね。
とかとか、そういうの説明してたら無限にかけるし無限に矛盾が生まれると思うので、
もう書かない。(ダルい)
言いたいのは、嫌なことも経験しておいたほうが人間として面白いよねって。
無駄なことを楽しめる人間であれ、子ども心を忘れないでって、つまらない大人にならないで、お前の代わりなんていくらでもいるからって思わせないで。
そんな僕にもいまでは理解ある彼女ちゃんが・・・
ではなく、靴職人になりたくて勉強してるわけですが、好きなことをやってるのですごく楽しい。僕の作った靴を履いてクローズドの世界からオープンな世界へ歩みだしてほしいと思います。
話変わって、スペインの哲学者オルテガは
主体性をもたず、ただ人間集団の数の力や既成の権力の力に依存し、名前(私という固有性)という責任を持たない匿名に埋没する一般群衆のことを大衆と言いました。
オルテガの”大衆の反逆”
1世紀前に書かれたものですがなかなか現代に刺さるものなので読んで見てください。
個性ある貴族であれよ。
感情論に任せたぐちゃぐちゃな気持ち悪い文が書けました。ありがとうございます。誰も読まないので寝る。
令和の文豪